象数と義理
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『周易』の読み方には、象と数の構造を見る方向と、文辞の道理を見る方向があります。井の『象伝』の一文、孔穎達の二つの疏、王弼の「明象」で、二つが対立せず交わる様子を確かめます。
要点を先に約9分で読めます
『周易』の一文には二つの問いを立てられます。線と卦はどう並ぶか(象数)、文辞はどんな道理を述べるか(義理)。この二つの問いは、同じ一文に重なることが多いのです。
- 象数は線・卦・取象・数の構造を見て、義理は文辞の意味と身の処し方を見ます。読み方の二つの方向で、二冊の本ではありません。
- 「両派六宗」は清代の『四庫全書総目』の言葉で、後の人が歴代の注釈者を整理したもの。『周易』自身の文ではありません。
- 孔穎達は井の疏で、まず上下の卦に分けて『説卦伝』の象を引き、次に民を養う道理を述べます。一人の注釈者が二つの問い方を使っています。

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同じ一文に、二つの問い
『周易』の一文には、二つの問いを立てられます。一つは構造への問いで、どの卦か、上下の卦は何か、陽爻と陰爻は何本ずつか、どんな象が使われているか。もう一つは道理への問いで、この文は何を述べるのか、なぜそう言うのか、身の処し方にどんな意味があるのか。
読み方の図:井を例に、左右はそれぞれ別の問いを立て、真ん中は一つの文が両方を担う場所。
前者はふつう象数、後者は義理と呼ばれます。図の例は井です。左の列は構造、右の列は道理を問い、真ん中の列は二つが出会う場所です。『象伝』は「木の上に水がある、井。君子はこれによって民をねぎらい、助け合いを勧める」と述べます。前半が象、後半が行いで、一つの文に二つの層が入っています。
二つの方向が問うこと
構造を問う
「象」は卦の形と取象で、井は巽が下、坎が上、木の上に水があります。「数」は数えられるもので、ここでは最も単純なものだけを取ります。井には陽爻が三本、陰爻が三本あり、爻の名に九と六が付きます。
道理を問う
文辞の意味と道理、そこから導かれる身の処し方です。井は養って尽きず、君子は民をねぎらい助け合いを勧めます。
九と六が爻題になる仕組みは爻位:初と上、二と五にあります。象数と義理の二語は、清代の『四庫全書総目』に見えます。次の節はそこから始めます。
『四庫全書総目』は二つの道をどう述べるか
『四庫全書総目』は、清代に編まれた書物の目録です。その易類の序は、歴代の注釈者を順に並べ、「両派六宗」という言い方を使っています。後の人が、さらに前の人を整理したもので、『周易』自身の文ではありません。序の一節を引きます。
漢の儒者は象数を語った。まだ古から遠くなかったからである。一たび変じて京・焦となり、禨祥(吉凶の前兆)に入った。再び変じて陳・邵となり、造化(天地の生成変化)を窮めることに努めた。易はこうして民の用に切実でなくなった。王弼は象数をことごとく退け、老荘で説いた。一たび変じて胡瑗・程子となり、初めて儒の理を明らかにした。再び変じて李光・楊万里となり、さらに史事を引いて証した。易は日ごとにその議論の端を開いた。この両派六宗は、すでに互いに攻め合っている。
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この一節は六つの宗(流れ)を順に挙げ、そのうち四つの移り変わりに「一変」「再変」と添えています(図のとおり)。序はそのあと編者の方針を述べます。「いま諸家を参校し、象に因って教えを立てる者を宗とする」。この基準には、象も教えも入っています。目録は象数のやり方として、鄭玄の『易』注が多く語る互体と、清の恵棟が鄭注をもとに作った十二月爻辰図にも触れます(鄭玄注と恵棟の編み直しの提要)。推し方は省きます。
序には「六十四卦の大象はみな君子以の字がある」という要約もあります。原文で一つずつ確かめると、要約と原文は完全には一致しません。
確認:大象の書き出し
「君子は以て」
「天の運行は健やかで、君子はそれにならって自ら励み、休むことがない。」
「后は以て」
「天地が交わる、泰。后(君主)はこれによって天地の道を整え……」
比と復は「先王は以て」で始まり、後で見ます。分類も要約も便利な整理にすぎず、引用するときは原文に戻って確かめます。経部全体の総序は、経学全体を論じて次のように述べます。
門戸の見を溶かして、それぞれの長所を取れば、私心は去って公の理が現れ、公の理が現れれば経の意味は明らかになる。
この一文に従うかぎり、編者の態度は、長所を取ることであり、どちらかに立つことではありません。
井:一つの文にある二つの層
まず井で試します。井は下の卦が巽、上の卦が坎です。『象伝』が卦全体を述べる一文(通称は大象)は、次のとおりです。
木の上に水がある、井。君子はこれによって民をねぎらい、助け合いを勧める。
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『象伝』は十翼の一つで、各部分が何を見るかは十翼を読むにあります。構造は一つずつ確かめられます。下は巽、上は坎、陽爻が三本、陰爻が三本。象の部分は『説卦伝』第十一章と照らします。そこには「巽は木」「坎は水」があり、水が上、木が下という位置も「木の上に水」と合います。取象の項目の由来は、八卦の三爻構造と象で扱います。
同じ卦の疏に、二つの読み方が両方あります。
孔穎達の井の疏:一人の注釈者、二つの読み方
上下二つの卦から名を説く
「この卦は坎が水で上にあり、巽が木で下にあり、また巽は入るの意で、木が水に入って、さらに水を汲み上げる。これが井の象である。」
井の性質から、行いへ
「井の意味は、汲み養って尽きないことにある。君子はねぎらいの恵みをもって民の隠れた憂いを気遣い、助け合うよう勧め、事を成し遂げさせる。それが、養って尽きないということである。」
二つとも、唐の孔穎達が『周易正義』で井に付けた疏です。前の一節は井を上下二つの三画の卦に分け、『説卦伝』の三つの取象を使います。坎は水、巽は木(第十一章)、巽は入る(第七章)です。後の一節は、線がどう並ぶかにはもう触れず、この象が人に何を意味するかへ移ります。『彖伝』そのものも同じ書き方です。「巽、水に乎いて水を上ぐ、井。井は養って窮まらざるなり」。前の句は卦名の「巽」と象を表す語「水」を使い、後の句は井の性質を直接述べます。
王弼「明象」:言・象・意のつながり
三国魏の王弼は『周易略例』に「明象」を書きました。義理に傾いた文章で、言・象・意の三つの関係を論じています。
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象とは、意を出すものである。言とは、象を明らかにするものである。意を尽くすには象に及ぶものはなく、象を尽くすには言に及ぶものはない。言は象から生まれるので、言を辿って象を観ることができる。象は意から生まれるので、象を辿って意を観ることができる。……言とは、象を明らかにするものである。象を得たら言を忘れる。象とは、意をとどめるものである。意を得たら象を忘れる。たとえば蹄は兎のためにあり、兎を得たら蹄を忘れる。筌は魚のためにあり、魚を得たら筌を忘れるようなものである。
蹄と筌は兎と魚を捕る道具で、言と象のたとえです。目的に届いたら、道具を握りしめている必要はありません。この一連の句は「意を得て象を忘る」とまとめられることがよくあります。彼は、象が意に従うべきことにも触れています。
だから、類に触れてそれを象とし、義に合わせてそれを徴とすることができる。義が健にあるなら、どうして馬でなければならないのか。類が順にあるなら、どうして牛でなければならないのか。
「乾は馬」「坤は牛」は『説卦伝』第八章の項目で、象は意に従うのだから、乾を馬に固定する必要はない、というのが彼の主旨です。
交わりながら読む:同じ一文を二度問う
ここまでを練習にします。『象伝』の一文を取り、まず構造を、次に道理を、最後にもう一つの方向が何を補うかを問います。さらに二つの卦で試します。
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- 象数の確かめ:『説卦伝』第十一章に「坤は地」「坎は水」「震は雷」があり、「地の上に水」「雷、地の中にあり」の上下の位置と合います。
- 義理の読み方:「以て」の後は、先王がそれを受けて何をしたかを述べます。復の「至日」は、『周易正義』所収の注が冬至と夏至と読んでいます。
どの層の文か
経文か、『彖伝』『象伝』か、後の注や疏か。まず層を示してから引きます。
構造か、道理か
上下の卦・象・数を述べているのか、この卦の意味とすべきことを述べているのか。一つの文に両方あることもあります。
別の方向は何と言うか
構造を確かめたら、それがどんな説を支えるかを問います。道理を読んだら、構造に根拠があるかを振り返ります。
読んだあとの疑問
象数と義理は別々の学派で、どちらかを選ぶべきですか。
選ぶ必要はありません。『総目』は歴代の説を「両派六宗」と述べますが、経学全体を論じるところでは、それぞれの長所を取ると書いています。一文を、まず構造、次に道理の順に問えます。
「意を得て象を忘る」は、卦象が要らないという意味ですか。
違います。王弼は同じ「明象」の中に「象を立てて以て意を尽くす」とも書いています。退けているのは乾を馬に固定する類のやり方と、方法を重ねる推し方で、言・象・意の関係を述べているのであり、象をなくしてはいません。
『象伝』の「君子は以て」の後の言葉は、予言ですか。
予言ではありません。「以て」の後には、この卦の象にもとづいて君子が何をしうるかが書かれます。井の「民をねぎらい助け合いを勧める」がその例で、身の処し方の話であり、ある事柄の結果を告げるものではありません。
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