乾坤を並べて読む
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乾と坤の頁の卦辞・爻辞・彖伝・象伝・文言伝を層ごとに並べ、初と上の二つの位置で各層の言葉を比べます。後世の疏と注は最後に見て、人格のラベルは貼りません。
要点を先に約9分で読めます
乾と坤の頁には同じ層の文が並んでいます。経と、その後ろの三つの伝です。同じ層を横に並べて読み、後世の解釈は最後に足します。
- 二つの頁は同じ構成です。卦辞が一つ、爻辞が六つ、用九か用六が一つで、そのあとに三つの伝が続くため、どの層にも向かい合う相手があります。
- ひとつの爻辞は、伝のなかで何か所も、違う言葉で解釈されることがあります。乾の初九は文言伝だけで四か所に出てくるので、一文で「伝はこう言う」とは言えません。
- 「健」「順承」「柔」などの語は、出てきた層の言葉です。並べる前に出どころを記し、卦や人のラベルにはしません。

先に読む
先に層を分けてから、並べる
乾と坤の頁には、同じ層の文が並んでいます。経と、その後ろに続く彖伝・象伝・文言伝です。並べて読むとは、二つの頁の同じ層を向かい合わせにして、一層ずつ見ていくことです。
乾坤の経伝対照:各層から一文だけ取った図で、原文と出典は本文にあります。言葉の比較であり、性格の比較ではありません。
二つの頁の構成は同じです。経には卦辞が一つ、爻辞が六つ、そのあとに乾は「用九」、坤は「用六」が一つ加わり、続いて彖伝・象伝・文言伝の三つの部分があります。中国語版ウィキソースでは、ほかの卦の頁に文言伝の部分はありません(経と伝:本文と解釈を参照)。そのためこの二つは、四つの層をそろえて並べられます。
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並べて読む三つの手順
経を並べる
まだ伝は開かず、二つの頁の爻辞を位置でそろえます。
伝を並べる
一つの部分ずつ、卦全体に付くのか一本の爻に付くのかを確かめます。
後世の解釈は最後に
疏や注は最後に読み、誰の言葉か、伝のどの文に付くかを記します。
経を並べる:二つの卦辞と、六組の爻辞
まだどの伝も開きません(卦辞と爻辞がそれぞれ何に向かうかは卦辞と爻辞)。乾の卦辞は原文でわずか四字(元亨利貞)で、「元いに亨る、貞しきに利ろし」と読みます。坤の卦辞はもっと長く、冒頭の「元いに亨る」だけが同じです。
二つの卦辞
元いに亨る、貞しきに利ろし。
原文は元亨利貞の四字で、短い二句に読みます。
元いに亨る。牝馬の貞に利ろし。
「貞しきに利ろし」が「牝馬の貞に利ろし」に変わります。続きは、君子、往く攸有り。先んずれば迷い、後るれば主を得。西南には朋を得、東北には朋を喪う。貞に安んずれば吉。
次に爻辞を位置でそろえます(位の呼び名は爻位:初と上、二と五)。乾の初九には坤の初六、上九には上六、最後に用九には用六が向かい合います。
位置でそろえた爻辞
- 初
- 乾:潜竜、用うる勿れ。坤:霜を履む。堅冰至る。
- 二
- 乾:見竜、田に在り。大人を見るに利ろし。坤:直・方・大。習わざれども利ろしからざる无し。
- 三
- 乾:君子、終日乾乾し、夕べに惕若たり。厲うけれども咎无し。坤:章を含む。貞なるべし。或いは王事に従う。成すこと无くして終わり有り。
- 四
- 乾:或いは躍りて淵に在り。咎无し。坤:嚢を括る。咎无く誉れ无し。
- 五
- 乾:飛竜、天に在り。大人を見るに利ろし。坤:黄裳。元いに吉。
- 上
- 乾:亢竜、悔い有り。坤:竜、野に戦う。その血は玄黄。
- 用九 / 用六
- 乾:群竜、首无きを見る。吉。坤:永き貞に利ろし。
そろえたあとで、爻辞に「竜」の字があるかどうかで、十四の爻辞を分け直せます。
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ここまでは原文を行に並べただけで、同じ位置の二つの言葉がどう応じ合うかは、経には書かれていません。
伝を並べる:三つの伝が経のどこに付くか
三つの伝は経の後ろにあり、それぞれ経の別の箇所に付いています。一つの部分ずつ比べ、卦全体か、一本の爻か、一つの語かをまず確かめます。
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「大いなるかな乾元」と「至れるかな坤元」、「万物、資りて始まる」と「万物、資りて生ず」、「乃ち天を統ぶ」と「乃ち順いて天を承く」が向かい合い、違いは「始」と「生」、「統」と「順承」の数語に出ます。
象伝の最初の一句
天行は健なり。君子は以て自ら彊めて息まず。
まず「天」を言い、「君子は以て……」が続きます。
地勢は坤なり。君子は以て徳を厚くして物を載す。
まず「地」を言い、同じ形の「君子は以て……」が続きます。
この一句は卦全体に向かい、そのあと爻ごとに一文ずつ続きます。形は二つの頁で同じで、「君子は以て」の前に象、後ろにその象にならう君子の行いが書かれます。文言伝は、どちらの頁にも一つずつあります。
よく取り出される語と、それがある層
- 健
- 乾の象伝「天行は健なり」。乾の文言伝「剛健中正」。
- 順 / 天を承く
- 坤の彖伝「乃ち順いて天を承く」。坤の文言伝「坤の道は其れ順なるか」と「天を承けて時に行く」は別々の句です。
- 牝馬
- 坤の卦辞「牝馬の貞に利ろし」は経にあります。坤の彖伝「牝馬は地の類、地を行くこと疆り无し」は、伝自身の言い方です。
二つの位置を重ねて読む:初と上
いちばん下の「初」と、いちばん上の「上」を並べます。経、象伝、文言伝の順に置き、各層が何と言うかを見ます。
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乾の初九は、伝のなかで何か所も解釈されます。象伝は「陽、下に在るなり」。文言伝は四か所で取り上げ、竜の徳をもちながら隠れている者の段落、「下なり」と「陽気潜蔵」の二つの短い句、「潜とは、隠れてまだ現れないこと」と説く段落です。言葉は順に「隠れる者」「下」「陽気」「君子」と違います。
坤の初六は、象伝が霜と氷について述べます。文言伝は次のように続けます。
善を積む家には、必ず余りの慶びがあり、善でないことを積む家には、必ず余りの災いがある。……その由って来るところは漸であり、早く見分けなかったことによる。『易』に「霜を履む、堅冰至る」とあるのは、おそらく順うことを言ったものだ。
象伝が述べるのは霜と氷の順序だけで、文言伝はそこから「漸」と「早く見分けない」へ進みます。同じ経でも、二つの層の落としどころは違います。
次はいちばん上の位置です。
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「亢」とは、進むことは知っていても退くことを知らず、存することは知っていても亡ぶことを知らず、得ることは知っていても失うことを知らない、という言葉である。……
陰が陽を疑えば、必ず戦う。陽がないかのように見えるので、「竜」と称する。まだその類を離れていないので、「血」と称する。玄黄とは、天地の入り混じったものである。天は玄く、地は黄色い。
乾の上九の文言伝は「亢」という字の意味を説き、坤の上六の文言伝は爻辞の語を一つずつ取り上げます。戦、竜、血、玄黄です。「故に竜と称す」は、経で坤の上六に出る「竜」に応える句で、この呼応は二つの頁を並べて初めて見えます。「窮」の字も各頁に一度ずつ出ますが、坤上六の象伝「その道窮まる」と乾の文言伝「窮まるの災いなり」で、同じ句ではありません。
後世の解釈は最後に:疏と注
後世の解釈は最後に置きます。使うのは『周易正義』の孔穎達の疏と旧注で、疏は旧注を「輔嗣の注」と書きます(輔嗣は王弼の字)。どれも、誰の言葉で伝のどの文に付くかを先に記します。
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一つ目の例では、疏自身が乾と坤を並べています。乾の彖伝は「資りて始まる」、坤の彖伝は「資りて生ず」と言い、疏はこう分けます。
「乾」はもともと気の始まりなので「資りて始まる」と言い、「坤」は成った形に拠るので「資りて生ず」と言う。
「気の始まり」「成った形」は疏の言葉で、彖伝自身は「始」と「生」とだけ書いています。
二つ目の例では、旧注が乾坤の最後の経を並べて読みます。
……剛健でありながら人の首に居れば、物は味方しない。柔順でありながら正しくなければ、へつらいの道である。だから乾の吉は「首无き」にあり、坤の利は「永き貞」にある。
「剛健」「柔順」は注の言葉で、二つの頁の経にあるのは「群竜、首无きを見る。吉」と「永き貞に利ろし」だけです。
三つ目の例では、同じ文言伝の一句に、後世の読みが分かれます。
「その血は玄黄」:文言伝と、後世の二つの読み
玄黄とは天地の雑なり
玄黄は天地の入り混じったもので、天は玄く地は黄色いと言います。
血に天地の色がある
「上六の爻は、天地の雑気を併せ持つ。だから上六が傷つくと、その血は玄黄になる」。
なお陽と戦って傷つけ合う
旧注は「なお陽と戦って傷つけ合う。だから血と称する」と言い、疏は「荘氏の言は、王弼の本意ではあるまい。いま採らない」と書きます。
後世はこの一句をすでに二通りに読み、疏は一方を採っています。これらは伝を読む助けで、経や伝の一部ではありません。
経か伝か
意味の前に、その文がどの部分にあるかで層を決めます。
同じ層で何と言うか
二つの頁の同じ層の文を並べ、書かれている字だけを比べます。
この語はどの層か
「順承」「剛健」のような語は、経・伝・注のどこにあるかを先に探します。
読んだあとの疑問
乾坤を並べて読むとき、どの文を読みますか。
卦辞、六つの爻辞、用九と用六に、それぞれの頁の彖伝・象伝・文言伝を加えます。後世の疏や注は別の層として、最後に見ます。
坤の「順承」は、女性や部下に従順さを求める言葉ですか。
女性や部下に従順を求める文は、これらの頁にありません。「順いて天を承く」は、彖伝で「坤元」について言う句です。ただし坤の文言伝は六三の解釈で「地の道なり、妻の道なり、臣の道なり」と、坤の位置を妻や臣と並べます。これは文言伝自身の類比で、その層の言葉として読み、いまの人への要求に読み替えてはいけません。文言伝の冒頭には「至柔にして動くや剛」ともあり、柔と剛が同じ句に並びます。
後世の注が伝と食い違うときは、どちらに従いますか。
まず伝そのものが何と書いているかを見て、次に注が何を言い、誰の言葉かを確かめます。後世どうしも一致しません。孔穎達の疏には、引かれた荘氏の読みを採らないと書いた箇所があります。出典を付けて並べ、読者の代わりに選ぶことはしません。
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