豊卦:正午に北斗、覆いを大きく
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豊は六十四卦の第五十五卦で、下が離、上が震、明るく動きます。彖伝の「正午がよい」と「日は中天で傾く」、そして六つの爻辞で「覆いを大きく」「幕を大きく」「屋根を大きく」と書かれる様子から、「大」と遮蔽を読みます。
要点を先に約7分で読めます
「豊」は大きいという意味です。ところが六つの爻辞で大きくされるのは、ほとんどが光を遮るもの、覆い、幕、屋根。それで正午にも、北斗が見えるのです。
- 豊は離(明)の上に震(動)を重ねた卦。彖伝は「明るく動くので豊」と言い、卦辞の結びは「正午がふさわしい」、大象は「雷と稲妻がともに至る」。
- 彖伝は「正午」を二度使う。まず「正午がふさわしい」、天下を照らすのがよいと言い、すぐ続けて「日は中天に来れば傾き、月は満ちれば欠ける」。
- 四つの爻辞が「大きくする」と言う。覆い、幕、覆い、屋根と、どれも光を遮るもの。六二と九四は「正午に北斗が見える」が同じで、一方は「誠」、他方は「対等の主に出会う」で受ける。

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下は明るく、上は動く
豊は第五十五卦で、下が離、上が震です。説卦伝で離は「附く」であり、明るさでもあり、象は火・日・稲妻。震は「動く」で、象は雷です。彖伝は初めに定義を置きます。「豊は大きいこと」、続けて「明るく動くので豊」。下が明るく、上が動くこと、それが卦名の理由です。
豊と綜卦の旅:豊を上下逆さにすると旅になり、豊で下にあった離(日)が、旅では上に来ます。
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豊を読むための四つの語
- 覆いと幕(蔀・沛)
- 伝統的には、どちらも光を遮るものと読む。蔀は遮りに使う筵のようなもの、沛はさらに大きな幕。爻辞は、この二つを「大きくする」と言う。
- 北斗と小さな星
- 斗は北斗星。もう一方は、伝統的には斗より小さく暗い星と読む。「正午に斗が見える」「小さな星が見える」とは、正午に星が見えること。
- 正午と傾き(日中・昃)
- 日中は正午、昃は日が西に傾くこと。彖伝はこれを使って満ちることと欠けることを言う。
- 至る
- 伝統的には「至る、来る」と読む。卦辞の「王がここに至る」は、王がここに来ること。
卦辞と彖伝:「正午がよい」、そしてすぐ「日は中天で傾く」
豊の卦辞は「通る。王がここに至る。憂えるな、正午がふさわしい」。彖伝は一句ずつ応じ、その中で「正午」を二度使います。
豊は大きいこと。明るく動くので、豊となる。「王がここに至る」とは、大きさを尊ぶこと。「憂えるな、正午がふさわしい」とは、天下を照らすのがよいということ。日は中天に来れば傾き、月は満ちれば欠ける。天地の満ち欠けは、時とともに消え、また息づく。まして人はどうか。まして鬼神はどうか。
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前半は卦辞に沿った言い方です。「明るく動く」とは、下卦が明るく上卦が動くので豊だ、ということ。「王がここに至る、大きさを尊ぶ」。「憂えるな、正午がよい」は、正午の太陽のように天下をあまねく照らすのがよい、という意味です。
後半で話が転じます。「日は中天に来れば傾き、月は満ちれば欠ける」。同じ「正午」が、今度は高みに着いたばかりで西へ傾き出す太陽を言い、満ちた月は欠けはじめます(「欠ける」の字を、伝統的には蝕む、損なわれる意味に読みます)。「天地の満ち欠けは、時とともに消え、また息づく」。天地でさえそうなのだから、まして人は、まして鬼神は、と続きます。
大象:雷と稲妻がともに至る
雷と稲妻がともに至る、これが豊。君子はこれにならい、訴えを裁き、刑を行う。
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「ともに至る」とは、雷と稲妻が同時に来ること。震の勢いと、離の光です。君子はここから、訴えを裁くこと、刑を行うことという行いを得ます。
噬嗑の大象にも雷と稲妻がありますが、そこでは先王が「罰を明らかにし、法を整える」とあり、先に罰と法を定めます。豊のこちらは、一件ごとの訴えを裁き、それから刑を行うほうです。同じ雷と稲妻が、一方では決まりを作ることに、他方では個々の裁きに落ちています。
六つの爻辞:大きくなるのは、光を遮るもの
六つの爻辞のうち、「大きくする」と書かれるのは四つ。覆い、幕、覆い、屋根。続くものはほとんど光を遮るもので、だから「正午に北斗が見える」のです。
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初九「ふさわしい主に出会う。十日に及んでも咎めなし、進めば尊ばれる」。「十日」と訳した字には、伝統的に十日と読む説と、等しいと読む説があります。小象は「十日を過ぎれば災い」、その限度を過ぎると災いになる、と言います。
六二と九四には、一文がそっくり同じです。「覆いを大きくし、正午に北斗が見える」。覆いが大きく、正午でも星が見えるほど。そのあとで道が分かれます。六二は「行けば疑われて病む。誠があれば心が開く、吉」。小象は「信によって志が発せられる」。九四は「対等の主に出会う、吉」。小象はまず理由を二つ挙げます。位が合っていないこと(九四は陽爻で第四位、本来の位ではない)と、暗くて明るくないこと。そのあとでようやく「対等の主に出会い吉とは、そちらへ進むこと」と言います。初九は「ふさわしい主」、九四は「対等の主」。初と四は、上下の卦で向かい合う位置です。
九三「幕を大きくし、正午に小さな星が見える。右の腕を折る。咎めなし」。伝統的には幕は覆いより大きいものと読み、この爻で正午に見えるのは北斗ではなく小さな星です。右腕は折れても咎めなし。小象は「大きな事はできない」「最後まで使えない」と言います。
六五は初九と同じく、覆いも「正午」もない爻で、こちらは輝きが来ることを言います。「輝きが来る。祝いと誉れがあり、吉」。「輝き」は、伝統的には光彩、文彩と読み、小象は「祝い事がある」。
上六「屋根を大きくし、家を覆う。戸口からのぞくと、ひっそりと人がいない。三年、姿を見ない。凶」。小象は二つに分けて言います。「屋根を大きくするのは、天の際に舞い上がること」「戸口からのぞいてひっそりと人がいないのは、自ら身を隠したから」。「覆いを大きく」から「屋根を大きく」へ、遮るものが大きくなり続け、最後に覆い隠されるのは人自身です。
旅・渙・大過:豊の隣の卦と、「大を極めた者は居場所を失う」
豊を上下逆さにすると旅が現れます。旅は豊の綜卦で、冒頭の図に二つ並べてあります。錯卦は渙。互卦は大過です。豊の第二〜第四爻(陰・陽・陽)で巽、第三〜第五爻(陽・陽・陰)で兌を作り、巽を下に、兌を上に置くと大過になります。
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序卦伝が豊を帰妹の次に置くのは、行き着く先を得たものは大きくなる、という考えからです。豊のあとには旅が来ます。大きさを極めた者は住まいを失うから、というのが序卦伝の説明です。上六に戻ると、「屋根を大きくする」のに「ひっそりと人がいない」。大きな家に人がいない姿と、二つの箇所を並べて読めます。雑卦伝も豊と旅を一文に並べ、豊は「事が多い」、旅は「親しい者が少ない」と言います。
読んだあとの疑問
豊卦は、豊かで満ち足りていることですか。
彖伝はまず卦名を「大きい」と解きます。ただ爻辞で大きくされるのは覆い・幕・屋根のような遮るもので、昼に星が見えます。ここでの豊は「大きい」で、単なる豊かさではありません。
「正午に北斗が見える」のはなぜですか。
原文は原因を説明していません。覆いが正午でも星が見えるほど大きい、と言うだけで、小象は「暗くて明るくない」と評します。伝統的には覆いの字を光を遮るものと読みますが、それが何かまでは原文に書かれていません。
豊と旅はどういう関係ですか。
互いに綜卦で、豊を上下逆さにすると旅になります。序卦伝は「大を極めた者は居場所を失う」と言って豊のあとに旅を置き、雑卦伝は二つを一文に並べて、豊は「事が多い」、旅は「親しい者が少ない」と言います。
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