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DA-006 / 道家思想

知足と知止:欲望と限度

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知足は量を、知止は場所を問う

『老子』第44・46・33・9・12章から、知足は「どれだけで足りるか」、知止は「どこで止まるか」を問うと確かめ、節度・立ち止まり・消極的な自制を分けて読みます。

要点を先に約8分で読めます

知足と知止は、それぞれ一つの問いに答えます。知足は「どれだけで足りるか」、知止は「どこで止まるか」。どちらも何もしないことではなく、第33章は「足りることを知る者は富む」のすぐ隣に「努めて行う者は志がある」と記します。

  • 知足は「どれだけで足りるか」(第33・44・46章)、知止は「どこで止まるか」(第32・44章)を問います。前者は持つこと、後者は行うことの物差しです。
  • 第44章は三つの問い(名と身、身と貨、得と亡)を置き、次に「愛しすぎれば必ず大きく費え、蓄えすぎれば必ず深く失う」と勘定して、知足と知止へ進みます。
  • 原文は知足と進むことを並べます。第33章で「足りることを知る者は富む」の次の句は「努めて行う者は志がある」で、知足は足を止めよとは求めていません。
18秒で確認:知足と知止が問うこと、第44章の三つの問いと勘定、節度・立ち止まり・消極的な自制を分けるときの三つの問い。

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老子の道と徳:第1・21・25・38・51章から読む ↗

無為:何もしないことではない――第2・48・57・64章から読む ↗

一つは量を、一つは場所を問う

第44章は「足りることを知れば辱められない」と「止まることを知れば危うくない」を隣り合う二句に置きます。似て見えますが、問いは別です。「知足」は「どれだけで足りるか」、「知止」は「どこで止まるか」を問います。

二列の対照:行き過ぎの側に「愛しすぎれば大きく費える」「蓄えすぎれば深く失う」「足りることを知らないのが最大の禍」、節度の側に「足りることを知れば辱められない」「止まることを知れば危うくない」「足りると知って得る足りるは、いつも足りる」。元の図を開いて拡大する

原文の対照図:左は行き過ぎの代価、右は節度の結果です。句は第44章と第46章に出ます。

上の表は第44・46章の句を並べたものです。左は行き過ぎの代価、右は節度の結果。左に「愛しすぎれば必ず大きく費え、蓄えすぎれば必ず深く失う」、右に「足りることを知れば辱められず、止まることを知れば危うくない」とあります。これらの章を読むには、まず二語を分けます。

三つの語を分ける

知足
知は見分けること、足は足りること。何を足りるとするかを見分ける、持つことの物差しです。第33・44・46章に出ます。
知止
止は止まること。どこで手を止めるかを知る、行うことの物差しです。第32・44章に出ます。
欲
欲しがること。第46章は「得ようと欲すること」、第19章は「私心を少なくし、欲を減らす」と書きます。

第44章:三つの問いと、一つの勘定

第44章はわずか数句です。三つの問いを置き、次に勘定をします。

名と身と、どちらが親しいか。身と貨と、どちらが重いか。得ることと失うことと、どちらが害か。だから、愛しすぎれば必ず大きく費え、蓄えすぎれば必ず深く失う。足りることを知れば辱められず、止まることを知れば危うくない。そうして長く保つことができる。

通行本(王弼本)第44章(原文から訳出)
三つの問い二つのものを比べる名と身どちらが親しい続けて身と貨どちらが重い続けて得と亡どちらが害どの問いも比較で、原文は一つずつ答えない
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三つの問い二つのものを比べる名と身どちらが親しい続けて身と貨どちらが重い続けて得と亡どちらが害どの問いも比較で、原文は一つずつ答えない
第44章の三つの問い:名と身はどちらが親しいか、身と貨はどちらが重いか、得ることと失うことはどちらが害か。どれも二つのものの比較。

どの問いも、二つのものを比べています。名声と自分自身のどちらが近いか、自分自身と財貨のどちらが大事か(ここの「多」は、より重いの意味に取られることが多い)、得ることと失うことのどちらが傷つけるか。原文は一つずつ答えず、すぐ勘定に進みます。愛しすぎれば費えは大きく、蓄えすぎれば喪失は深い。足りることを見分ければ辱められず、止まることを知れば危うくなく、そうして長く保てる、と。

この勘定で、「費」と「亡」は代価、「辱」と「殆」は結果、「長久」は原文が挙げる益です。

どこで止まるか:第9章と第32章

知止は行いの物差しです。第9章は、いくつもの具体的な画面でそれを語ります。

持ってそれを満たすのは、やめるのに及ばない。叩いてそれを尖らせれば、長くは保てない。金玉が堂に満ちれば、守りきれない。富み貴くして驕れば、自ら災いを残す。功を遂げて身を退くのが、天の道である。

通行本(王弼本)第9章(原文から訳出)
持って満たすやめるに及ばない:縁まで満ちたら手を止める叩いて尖らす長くは保てない:尖りすぎて続かない金玉が堂に満ちる守りきれない:堂いっぱいは守れない富貴で驕る災いを残す:自分で災いを招く功を遂げたら退く天の道:成し遂げたあと退く前の四句は行き過ぎ、最後の一句が節度
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持って満たすやめるに及ばない:縁まで満ちたら手を止める叩いて尖らす長くは保てない:尖りすぎて続かない金玉が堂に満ちる守りきれない:堂いっぱいは守れない富貴で驕る災いを残す:自分で災いを招く功を遂げたら退く天の道:成し遂げたあと退く前の四句は行き過ぎ、最後の一句が節度
五層の積み重ね:持って満たすのはやめるに及ばず、叩いて尖らすと長くは保てず、金玉が堂に満ちても守りきれず、富貴で驕れば災いを残し、功を遂げたら退くのが天の道。

「持って満たす」の一つの読みは、杯を持って注ぎ、縁まで満ちてもやめない、というものです。もっと早く止めたほうがよい。「叩いて尖らす」は、伝統的に、叩いて尖らせ、さらに研ぐ意味に読み、尖るほど折れやすくなります。前の四句は行き過ぎを描き、節度を描くのは最後の句だけです。「功を遂げたら身を退く」は、まず功を遂げ、そのあとで退きます。

第32章では、知止は「名」と結びついています。

作り始めたところに名が生まれる。名がいったん立てば、そこで止まることを知るべきだ。止まることを知れば危うくない。

通行本(王弼本)第32章(原文から訳出)

「制」は作り始めること、「名」は伝統的に名分・称号・制度と読まれます。それが立ったら、どこで止まるかを知るべきだ、と言うのです。この句は、第44章の「止まることを知れば危うくない」と並べて読めます。一方は「止まることを知るべきだ」と言い、他方は「危うくない」という結果を言います。

第12章と第46章:欲は何に向かうか

「欲」は何に向かうのか。第12章が名指ししています。

五色は人の目をくらませ、五音は人の耳を聞こえにくくし、五味は人の味覚を狂わせ、馬を駆っての狩りは人の心を狂わせ、得がたい財貨は人の行いを妨げる。

通行本(王弼本)第12章(原文から訳出)
対象\結果引かれるもの原文が言う害一五色目がくらむ二五音耳が聞こえにくい三五味味覚が狂う四馬を駆る狩り心が狂う五得がたい財貨行いが妨げられる「味覚が狂う」は味の違いが分からなくなること
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対象\結果引かれるもの原文が言う害一五色目がくらむ二五音耳が聞こえにくい三五味味覚が狂う四馬を駆る狩り心が狂う五得がたい財貨行いが妨げられる「味覚が狂う」は味の違いが分からなくなること
五項の対照:五色は目をくらませ、五音は耳を聞こえにくくし、五味は味覚を狂わせ、馬を駆っての狩りは心を狂わせ、得がたい財貨は行いを妨げる。

原文は五つの「多さ」を五つの害として述べます。目がくらみ、耳が鈍り、味が分からなくなり、追い立てる狩りで心が乱れ、珍しい財貨が行いを妨げる。続く句は「腹」と「目」に落ちます。「だから聖人は腹のために働き、目のためには働かない。あちらを捨ててこちらを取る」。「腹のために働く」は伝統的に実のある必要のためと読み、「目のためには働かない」は目を奪うものを追わないことです。これが「足りる」の一つの基準です。

第46章は、話を個人から天下に移します。

天下に道があれば、駿馬を退けて田を治めさせる。天下に道がなければ、軍馬が郊外で生まれる。禍は足りることを知らないことより大きなものはなく、咎は得ようと欲することより大きなものはない。だから、足りると知って得る「足りる」は、いつも足りるのだ。

通行本(王弼本)第46章(原文から訳出)

最初の二句は天下の話です。道があるときは走る馬が退けられて田を治め(田を治め肥やす、という意味の語)、道がないときは郊外で戦馬が生まれる。そのあとに「禍」と「咎」が来ます。これを個人の暮らしの中で読むのは、後世によくある借用です。最後の句は、同じ語を重ねています。前半の「足りる」は見分けた上での判断、後半の「足りる」は実際に足りていること。見分ければ、いつも足りる、と。

節度・立ち止まり・消極的な自制

ここまで読むと、三つのことが一つに混ざりやすくなります。節度、立ち止まり、消極的な自制です。第33章が傍証になります。

人を知る者は賢く、自分を知る者は聡明だ。人に勝つ者は力があり、自分に勝つ者は強い。足りることを知る者は富む。努めて行う者は志がある。自分の居場所を失わない者は長く続く。死んでも滅びない者は長寿である。

通行本(王弼本)第33章(原文から訳出)

この章は対の句で進みます。人を知ることと自分を知ること、人に勝つことと自分に勝つこと。「自分に勝つ者は強い」は自分を律することで、すでに力を要します。「足りることを知る者は富む」の次が「努めて行う者は志がある」で、努めて進む者に志があると言います。原文は、知足を足を止めることとは書いていません。句を三つの列に戻すと、違いが見えます。

節度量を問う足りると知る者は富む私心と欲を減らす腹のために働く立ち止まり場所を問うやめるほうがよい功を遂げたら退く止まれば危うくない消極的な自制原文の答え努めて行う者は志がある自分に勝つ者は強い功が先で、退くのは後第三列は誤読されやすい型。右の句は原文の答え
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節度量を問う足りると知る者は富む私心と欲を減らす腹のために働く立ち止まり場所を問うやめるほうがよい功を遂げたら退く止まれば危うくない消極的な自制原文の答え努めて行う者は志がある自分に勝つ者は強い功が先で、退くのは後第三列は誤読されやすい型。右の句は原文の答え
三列の対照:節度は量を問い、足りると知る者は富む・私心と欲を減らす・腹のために働く。立ち止まりは場所を問い、やめるほうがよい・功を遂げたら退く・止まれば危うくない。消極的な自制は誤読されやすい型で、原文の答えは努めて行う者は志がある・自分に勝つ者は強い・功が先で退くのは後。

節度は「量」の見極め、立ち止まりは「所」の見極めで、どちらも「行う」の範囲にとどまります。消極的な自制は事を行うことを手放すことで、原文には対応する句がなく、あるのは「努めて行う者は志がある」と「功を遂げたら身を退く」です。限度を水の比喩の中で読むなら柔弱と不争、無理に押し通さないことが行動にどう表れるかは無為、道と徳そのものの読み方は道と徳へ。

  1. 量か、場所か

    句が問うのは「足りるか」か、「どこで止まるか」か。前者が知足、後者が知止です。

  2. 次に「努めて行う」があるか

    隣り合う数句まで読みます。第33章では、知足の次の句が「努めて行う者は志がある」です。

  3. 個人か、国か

    第32・46章には侯王と天下という背景があります。個人の暮らしに置くのは借用なので、そう断って使います。

読んだあとの疑問

「知足」は「足りることを知れば楽しい」と同じ意味ですか。

同じではありません。「足りることを知れば楽しい」は後世の言い回しで、「足りる」を気持ちとして読みます。『老子』が書く結果は別で、足りることを知る者は「富む」(第33章)、足りることを知れば「辱められない」(第44章)、足りると知って得る「足りる」は「いつも足りる」(第46章)。話題は足りるか足りないか、後に害が残るかで、気分ではありません。

知止とは、途中でやめることですか。

違います。第9章は「功を遂げたら身を退く」と言い、まず功を遂げ、それから退きます。「持って満たすのは、やめるに及ばない」は、すでに満ちたものにこれ以上足すな、という話です。この「止」は、ふさわしい所で止まることで、中途半端に投げ出すことではありません。

足りることを知ると、向上心がなくなりますか。

原文からはそう読めません。第33章は「足りることを知る者は富む」と「努めて行う者は志がある」を隣に置き、後者は努めて進む者に志があると言います。「禍は、足りることを知らないことより大きなものはない」(第46章)が戒めるのは、際限なく欲しがることの結果で、努力そのものではありません。

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資料・出典

  1. 維基文庫・道德經(王弼本):第九、十二、三十二、三十三、四十四、四十六章 ↗
  2. 中國哲學書電子化計劃・道德經(章句對照) ↗

続けて読む

老子の道と徳:第1・21・25・38・51章から読む ↗

無為:何もしないことではない――第2・48・57・64章から読む ↗

柔弱と不争:まず原文の比喩を読み、そのあとで強さと譲ることを考える ↗

荘子の篇章:内篇・外篇・雑篇、まず地図を見てから原文へ ↗