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ZW-AUX-03 / 紫微斗数

文昌:子の刻は戌から始まる安星

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文昌:子の刻は戌、一刻で一宮

文昌は出生の時刻で決まります。子の刻を戌の宮に置き、一刻ごとに一宮ずつ逆に退きます。十三行の時刻表、遅い子の刻の日付の扱い、身主の表、丙・辛の四化、右弼と共有する軌道で解説します。

要点を先に約6分で読めます

文昌は出生時刻で置く補助星です。子の刻を戌の宮に置き、一刻進むごとに地支を一つ手前へ退きます。遅い子の刻でも落点は変わらず、変わるのは属する日付です。

  • 文昌の入力は出生時刻ただ一つ。十二刻でちょうど一周し、子の刻は零時で早い・遅いの二つに分かれ、どちらも戌の宮です。
  • 既定の設定では、遅い子の刻は翌日として数えます。文昌は動きませんが、紫微のように旧暦の日で置く星は翌日の位置になります。
  • 書は文昌を二つの表に載せています。五行の表では金、身主の表では辰・戌の年生まれの身主。四化では丙の年に化科、辛の年に化忌が付きます。
18秒で文昌:一刻ごとに一宮退く落点、23時半の遅い子の刻の数え方、読む前の三つの問い。

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補佐星・煞星・雑曜はそれぞれ何をするのか ↗

子の刻は戌から、刻ごとに一つ手前へ

文昌は生まれた時刻で置く星で、規則は一文で言えます。子の刻を戌の宮に置き、一刻進むごとに地支を一つ手前へ退きます。

十三行の時刻表。零時から、早い子の刻は文昌が戌、丑の刻は酉、寅は申、卯は未、辰は午、巳は巳、午は辰、未は卯、申は寅、酉は丑、戌は子、亥は亥。最後の行、23時からの遅い子の刻は再び戌に戻る。元の図を開いて拡大する

時刻表:時刻と時辰の対応は通常の二時間割で、文昌の位置は口訣どおりエンジンで一行ずつ照合。遅い子の刻は零時以降の早い子の刻とエンジンが別に扱うため、独立した行にした。

表の一行は時間帯で、左が時刻と時辰名、右が文昌の入る地支です。零時を過ぎた早い子の刻は戌、丑の刻は酉、寅の刻は申と退いていき、亥の刻は亥に着きます。十二の刻を数え終えると盤をひと巡りします。最後の行は23時からの遅い子の刻で、また戌に戻ります。これは次の節で扱います。

巻二の「文昌・文曲を安ずる訣」は、冒頭に「子の刻、戌から文昌を起こす」という一句があり、そのあとの注釈が規則を書き下しています。子の刻は戌の宮に置き、丑の刻は一つ手前の酉の宮、以下も同様です。「手前へ」とは、亥・戌・酉の順に戻ることです。

遅い子の刻:時計は当日、数えるのは翌日

十二刻のうち、零時をまたぐのは子の刻だけです(23時から翌日1時まで)。エンジンはこれを二つに分けます。0時から1時を早い子の刻、23時から24時を遅い子の刻と呼びます。文昌にとって二つに違いはなく、どちらも子の刻として戌の宮に入ります。違うのは日付で、サイトの既定では遅い子の刻を翌日として扱い、星を置くときの旧暦の日は翌日のものを使います。

時計の上では当日時計の上では翌日午前零時亥の刻遅い子早い子丑の刻赤紫の遅い子の刻は時計上は当日だが、星の配置は翌日として数える。24を超える部分は翌日の時刻
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時計の上では当日時計の上では翌日午前零時亥の刻遅い子早い子丑の刻赤紫の遅い子の刻は時計上は当日だが、星の配置は翌日として数える。24を超える部分は翌日の時刻
時計の上で23時から24時は遅い子の刻で、零時の前にあるが、既定では翌日として数える。零時後の早い子の刻と丑の刻は初めから翌日。

2024年5月20日前後の三つの時刻で確かめます。文昌は三回とも戌で、動くのは旧暦の日で置く星です。ここでは紫微を見ます。

5月20日 0時30分(早い子)文昌戌の宮旧暦の日四月十三日紫微申の宮5月20日 23時30分(遅い子)文昌戌の宮旧暦の日十四日扱い紫微巳の宮5月21日 0時30分(早い子)文昌戌の宮旧暦の日四月十四日紫微巳の宮5月20日23時30分と5月21日0時30分は、星を置く旧暦の日が同じ
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5月20日 0時30分(早い子)文昌戌の宮旧暦の日四月十三日紫微申の宮5月20日 23時30分(遅い子)文昌戌の宮旧暦の日十四日扱い紫微巳の宮5月21日 0時30分(早い子)文昌戌の宮旧暦の日四月十四日紫微巳の宮5月20日23時30分と5月21日0時30分は、星を置く旧暦の日が同じ
5月20日0時30分の紫微は申。5月20日23時30分は旧暦十四日として数え、紫微は巳で、5月21日0時30分と同じ。文昌は三つとも戌。

つまり23時30分の生まれは、文昌は0時30分の人と同じで、紫微は翌朝の生まれと同じです。設定でこれを当日側に切り替える項目もあり、切り替えると23時30分も0時30分と同じ日の旧暦で星を置きます。

書が文昌に与える二つの位置

『全書』は文昌を何度も取り上げます。巻二で星を南北斗と五行に分類する節に、次の一行があります。

文昌は金に属し、南北斗に属する。科甲を司り、文魁の首である。

『紫微斗数全書』巻二、星の斗と五行の分類表(訳は本稿)

この一行は三つのことを述べます。五行は金、南斗にも北斗にも属すること、そして書が文昌に割り当てる領域として、科甲(試験や学問の方面)を司るという点です。同じ巻のもっと前、「安身主」の節は、文昌に二つめの役割を与えます。生まれ年の地支で引き、辰の年と戌の年の生まれは身主が文昌です。書では「辰戌の人は文昌星」と書かれています。

辰年・戌年生まれ身主文昌そのほかの十支身主子午:火星丑未:天相寅申:天梁卯酉:天同巳亥:天機身主は生まれ年の地支で引き、時刻とは無関係。結果はエンジンと一支ずつ照合済み
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辰年・戌年生まれ身主文昌そのほかの十支身主子午:火星丑未:天相寅申:天梁卯酉:天同巳亥:天機身主は生まれ年の地支で引き、時刻とは無関係。結果はエンジンと一支ずつ照合済み
身主の表:辰年・戌年の生まれは文昌。子午は火星、丑未は天相、寅申は天梁、卯酉は天同、巳亥は天機。

身主は年を見て、文昌の位置は時刻を見るので、二つの手がかりは別々に求めます。辰の年生まれは何時に生まれても身主が文昌で、その文昌が盤のどの宮に入るかは、やはり時刻で決まります。命主と身主を合わせた読み方は命宮は何を論じるかにあります。

丙の年の科、辛の年の忌

四化の表で印を付けられる補助星は多くなく、文昌はその一つで、しかも二度現れます。

生年の天干禄権科忌丙天同天機文昌廉貞辛巨門太陽文曲文昌サイトのエンジンの四化表から。『全書』の四化訣と星名が一つずつ一致する
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生年の天干禄権科忌丙天同天機文昌廉貞辛巨門太陽文曲文昌サイトのエンジンの四化表から。『全書』の四化訣と星名が一つずつ一致する
丙と辛の二行の禄・権・科・忌の星名。文昌は丙の年は科の列、辛の年は忌の列に入る。

『全書』の四化訣は、天干ごとに一句で、四つの星名が禄・権・科・忌の順に並びます。丙の句は天同・天機・文昌・廉貞、辛の句は巨門・太陽・文曲・文昌の順です。読み方は決まっていて、丙の句の三番目が文昌なので、丙の年は文昌に化科。辛の句の最後が文昌なので、辛の年は文昌に化忌です。この二句とエンジンの表に食い違いはありません。化忌は印であって、特定の悪い出来事ではありません。化忌を参照してください。

文昌と右弼は一つの軌道を共有する

文昌と右弼は起点が同じで、どちらも戌の宮から逆に数えます。一方は時刻を、もう一方は月を数えます。そのため、旧暦の月数−1が時刻の番号に等しいとき、二つの星は同じ地支に入ります。

旧暦五月生まれの右弼五月戌から4退く着く右弼午の宮辰の刻生まれの文昌辰の刻戌から4退く着く文昌午の宮五月は五番目の月、辰の刻は五番目の刻。起点が同じなので退く数も同じ
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旧暦五月生まれの右弼五月戌から4退く着く右弼午の宮辰の刻生まれの文昌辰の刻戌から4退く着く文昌午の宮五月は五番目の月、辰の刻は五番目の刻。起点が同じなので退く数も同じ
旧暦五月の右弼と辰の刻の文昌は、どちらも戌から四宮退いて午に入る。

逆向きでも同じで、左輔は辰から順に、文曲も辰から順に数えるので、月数−1が時刻の番号に等しいとき、この二星は同宮になります。月の軌道と時刻の軌道が、同じ十二の地支の上で重なっているわけです。これが実際の盤で何を意味するかは、その盤の月と時刻が本当に合っているかによるもので、一般則ではありません。右弼の数え方は右弼、文昌と対になるもう一つは文曲です。

  1. 出生時刻を確かめる

    何時の生まれかを決めて時辰に折ります。23時から24時は、設定が翌日扱いか当日扱いかを確認します。

  2. 戌から手前へ数える

    子の刻を戌に置き、一刻ごとに一宮退きます。地支を書き、宮名はまだ付けません。

  3. 生まれ年に付く二つの役を見る

    年干が丙か辛か、身主の表で年支が辰か戌かを、別々の手がかりとして記録します。

二つの確かめ

確認一

旧暦二月、丑の刻生まれ。右弼と文昌はどこで、同宮ですか。

二月の右弼は酉。丑の刻は二番目の刻で、戌から一つ退いた文昌も酉です。同宮になります。

確認二

巳の刻生まれ。文昌が入る地支は。

巳の刻は六番目の刻で、戌から五つ退いて巳に入ります。

読んだあとの疑問

23時30分の生まれなら、文昌はどこに入りますか。

戌の宮です。0時30分の生まれと同じで、どちらの時刻も子の刻に属します。違うのは日付で、既定では23時30分は翌日扱いになり、旧暦の日で置く星はそれに合わせて動きます。

文昌の位置は、生まれ月に関係しますか。

関係せず、時刻だけです。月で決まるのは左輔と右弼です。ただし二つの軌道は一点で重なります。旧暦の月数−1が時刻の番号に等しいとき、文昌と右弼は同じ地支に入ります。

辰の年生まれは身主が文昌ですが、文昌が盤の決まった位置に入るという意味ですか。

違います。身主は生まれ年の地支から引き、どの星が身主かを示すだけです。文昌が実際にどの宮へ入るかは、出生時刻で決まります。二つの手がかりは別々に求めます。

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資料・出典

  1. 維基文庫・紫微斗數全書・卷二:安文昌文曲星訣、安身主、論諸星分屬南北斗並分屬五行、安祿權科忌四星變化訣 ↗
  2. iztro・星盘(宫位字段、本命与运限层) ↗
  3. iztro・紫微斗数四化(附着星曜、来源分类与十天干表) ↗

続けて読む

右弼:戌の宮から月を逆に数える安星と、左輔との四つの関係 ↗

文曲:子の刻は辰から順に数える安星と、十二宮の廟旺・文昌との四つの違い ↗