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YJ-003 / 易経

易経の版本:伝世本と出土資料

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易経は、まず版本を確かめる

『周易』には伝世本・注疏本・出土の帛書や竹簡・現代の訳注があり、来歴も文字も同じではありません。三つの図表で、本サイトが引く通行本、三つの出土資料、いくつかの異文を整理し、版本の記録の仕方を示します。

要点を先に約9分で読めます

『周易』は一種類ではありません。伝世の通行本、注疏を付けた本、出土の帛書や竹簡、現代の訳注は、来歴も文字も異なります。引用する前に、手元の一冊がどれかを確かめます。

  • 本シリーズが引くのは通行本で、照合先はウィキソース(中国語版)の各卦の頁、『易伝』の頁、『周易正義』の頁です。
  • 三つの資料は来歴が別です。馬王堆帛書は1973年に長沙で、阜陽漢簡は1977年に安徽省で出土し、上博簡は1994年から香港で購入されて出土地が分かりません。
  • 卦名の字や卦の並びは資料によって異なります。これは記録すべき違いであり、どれが原型に近いかを示す証拠にはなりません。
18秒で確認:三つの資料の来歴、臨の卦名の書き方、版本を記録する三つの問い。

先に読む

易経と周易:名称と範囲を分けてから原典へ ↗

経と伝:乾の一頁で、本文と解釈を見分ける ↗

同じ『周易』でも、手元はどの一冊か

『周易』を読むとき、最初に確かめたいのに飛ばされやすいのが、手元の一冊の種類です。伝世の通行本、注疏を付けた本、出土の帛書や竹簡、現代の訳注は、どれも「周易」と呼ばれますが、文字、並べ方、付いている説明が同じではありません。

三つの来歴の対照:伝世本には『周易』の頁と注疏本、出土地のある資料に馬王堆帛書と阜陽漢簡、購入された資料に上博簡がある。元の図を開いて拡大する

来歴別の整理:伝世本、出土地の記録がある資料、購入された資料。記録は分けて書きます。分け方は優劣ではありません。

図は、以下で使う資料を来歴で三つに分けたものです。伝世本は、世代を重ねて書き写され、刊行されて伝わった書物です。出土資料は帛や竹簡に書かれた早い時期の写本で、ここで扱う三つはいずれも1973年以降に出土または入蔵しました。うち二つは出土地を調べられ、一つは後から購入されたため、出土地が分かりません。訳注本は、そうした本文を現代の人が整理したもので、どの本文に従ったかを別に記録します。

四種類の「本」

伝世本
代々伝わってきた本文です。本シリーズが照らし合わせる、ウィキソースの『周易』各卦の頁は、この種類に入ります。
注疏本
経と伝の文字に、注と疏を付けた本です。注は経と伝の文字を解釈し、疏はその注をさらに解釈します。
出土資料
帛や竹簡に書かれた早い時期の写本です。馬王堆帛書、阜陽漢簡、上博簡などがあります。
訳注本
現代の訳者や注釈者が整理した本です。従った底本を書く必要があります。

伝世本:同じ書名、いくつもの頁

ウィキソースには、「周易」を書名に含む頁が複数あります。各卦の本文だけを載せた頁もあれば、注疏を付けた本もあり、署名、底本、巻の分け方の説明は頁ごとに違います。

疏孔穎達:注を解釈する注王弼・韓康伯:経と伝を解釈する経と伝の文字卦の図、卦辞・爻辞、伝注疏本の三層、下から上へ
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疏孔穎達:注を解釈する注王弼・韓康伯:経と伝を解釈する経と伝の文字卦の図、卦辞・爻辞、伝注疏本の三層、下から上へ
注疏本の三層を下から上へ:いちばん下が経と伝の文字、その上が王弼・韓康伯の注、いちばん上が孔穎達の疏。

注疏本は三つの層を一冊にまとめています。いちばん下に経と伝の文字、その上に王弼と韓康伯の注、いちばん上に孔穎達の疏です。『周易正義』の頁の見出しに載る『四庫全書総目』の提要は、疏の体裁を、注文を解き明かすことを主とし、はみ出すことを望まないものだと述べています。疏は注に従うもので、別の説を立てるものではない、という意味です。

ウィキソースの三つの頁

周易(四部叢刊本)

宋刊本の影印

頁の見出しに、魏の王弼注、晋の韓康伯注、王弼撰の略例、唐の邢璹注とあり、上海の涵芬楼が蔵する宋刊本によると記されています。巻は一から九までで、略例序と略例の巻十が別にあります。

周易注疏(四庫全書本)

文淵閣四庫全書第七冊

王弼・韓康伯の注、陸徳明の音義、孔穎達の疏と署名されます。本文は巻一から巻十三までで、周易略例が付きます。

周易正義

魏の王弼・晋の韓康伯注、唐の孔穎達疏

見出しに三人の名があり、そこに載る『四庫全書総目』の提要には、巻数についての目録の記述が一致しないことが書かれています。

この提要は巻数も記しています。序は十四巻、唐志は十八巻、書録解題は十三巻とし、提要が指す一冊は十巻だといいます。四庫本の『周易注疏』はさらに十三巻に分けています。同じ書でも巻数の記述がこれほど違うため、巻数が確かな位置を指すのは、同じ一冊の中だけです。

出土資料:三つの資料、三つの来歴

通行本のほかに、『周易』を含む早い時期の写本として、馬王堆帛書、阜陽漢簡、上博簡の三つがよく挙げられます。見つかり方はそれぞれ違います。以下は、ウィキペディア(中国語版)の項目で読めた内容です。

出土または入蔵の順馬王堆帛書1973 · 長沙阜陽漢簡1977 · 阜陽上博簡1994 · 購入年は出土か入蔵の年で、書写の年ではない
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出土または入蔵の順馬王堆帛書1973 · 長沙阜陽漢簡1977 · 阜陽上博簡1994 · 購入年は出土か入蔵の年で、書写の年ではない
三つの資料を出土または入蔵の順に:馬王堆帛書は1973年に長沙で、阜陽漢簡は1977年に阜陽で、上博簡は1994年から購入。

三つの資料、項目の記述から

馬王堆帛書『周易』

前漢 · 湖南省博物館

1973年に長沙の馬王堆三号墓から出土し、帛に書かれています。簡帛の一覧では「周易経伝」と記され、項目には、その『易伝』が今本とかなり異なるとあります。

阜陽漢簡

前漢 · 阜陽市博物館

双古堆漢簡とも呼ばれます。1977年に安徽省阜陽市潁州区から出土し、竹簡と木簡が数千片(数え方によって五千余から九千余まで幅があります)。内容には『詩経』や『周易』など多くが含まれます。

上博簡

戦国 · 楚 · 上海博物館

1994年から、上海博物館が香港の骨董市場で順次購入しました。最初は5月からの1200余枚、同じ年のうちにさらに一組があり、研究の概説では合わせて約1700枚とされます。数字は資料によって少し違います。『周易』は、2003年12月に出た第三冊に収められています。

三つは、手に入った経緯が違います。

  • 上博簡は考古学的に出土したものではないため、もとの出土地が分かりません。項目は、出た墓が戦国中期の後半から後期の前半、つまり紀元前300年ごろと推測するにとどまります。字体による年代判断と放射性炭素年代の結果は完全には一致せず、学者の説は分かれています。
  • 馬王堆帛書と阜陽漢簡には、調べられる出土地があります。

異文:同じ卦、いくつもの書き方

資料を並べると、まず目に入るのは字の違いです。同じ卦でも、卦名が別の字で書かれていることがあります。

卦\資料通行本馬王堆帛書阜陽漢簡上博簡乾乾鍵——臨臨林——遯遯掾椽豚「—」は引いた表に載っていない
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卦\資料通行本馬王堆帛書阜陽漢簡上博簡乾乾鍵——臨臨林——遯遯掾椽豚「—」は引いた表に載っていない
三つの卦名の四つの資料での書き方:乾は帛書で鍵、臨は帛書で林、遯は帛書で掾、阜陽漢簡で椽、上博簡で豚。

表の書き方は、ウィキペディア(中国語版)の「六十四卦」の項にある「部分古版出土文献対照」の表によります。その表は一部の卦だけを挙げており、空欄は表に載っていないという意味です。その資料にその卦がない、という意味にはなりません。

二種類の異文

資料のあいだ

卦名が別の字で書かれる

その表では、帛書は乾を鍵と書き、臨を林と書きます。遯は三通りで、帛書、阜陽漢簡、上博簡に一つずつ見えます。上博簡は豚と書かれ、この字形を遯とどう読むかは整理者の釈読によります。阜陽漢簡と上博簡の欄の書き方は、今のところこの百科の表でしか確認できていません。

同じ頁の中

頁自身が付けた小さな注

ウィキソースの乾の頁では、彖に曰くの「大和を保合す」のあとに「一に太和に作る」という小注があり、本によってはここが「太和」と書かれることが分かります。

卦の並びも違います。ウィキソースの『易伝』の頁にある六十四卦の一覧は、乾・坤・屯・蒙で始まります。ウィキペディア(中国語版)「六十四卦」の項に記された馬王堆帛書の並びは、乾のあとに否・遯・履が続きます。その項の説明では、帛書はまず外卦(上の卦)でまとめ、その中を内卦(下の卦)の順に並べています。山東大学の易学研究センターのサイトにある楊賢「帛書『周易』浅析」は、鄧球柏の校釈を引いて、最初の組を帛書の字で鍵・婦・掾・礼の順に挙げており、この四つの卦と対応します。

通行本乾第1坤第2屯第3蒙第4帛書(対照表による)乾通行本の第1否通行本の第12遯通行本の第33履通行本の第10同じ卦でも、並ぶ順が違う
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通行本乾第1坤第2屯第3蒙第4帛書(対照表による)乾通行本の第1否通行本の第12遯通行本の第33履通行本の第10同じ卦でも、並ぶ順が違う
通行本の最初の四卦は乾・坤・屯・蒙。帛書の最初の四卦は乾・否・遯・履で、通行本ではそれぞれ第1、12、33、10にあたる。

版本を記録する三つの問い

ここまでを短い一覧にまとめます。引用するときも、訳注を読むときも、まず三つを書き留めると、他の人が同じ箇所を探せます。

一つの引用に書くことどの本か書名と底本誰が整理訳注者と年どの頁か頁か章三つがそろって、一か所を指す
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一つの引用に書くことどの本か書名と底本誰が整理訳注者と年どの頁か頁か章三つがそろって、一か所を指す
一つの引用には三つを書く:どの本か(書名と底本)、誰が整理したか(訳注者と年)、どの頁か(頁か章)。
  1. どの本か

    書名と版を書きます。伝世の卦の頁か注疏本か、出土の帛書か竹簡か、訳注本ならどの底本に従うか。ウェブの頁なら、サイト名と頁名も書きます。例:ウィキソース「周易/乾」。

  2. 誰が整理したか

    訳注者や整理者、出版情報、年を書きます。注と疏の署名は分けて書きます。『周易正義』では、注と疏に別の人が署名されているからです。

  3. どの頁か

    頁、巻、章を書き、頁に異文の小注があればそれも記します。二つの資料を比べるときは、それぞれを別に記録します。

版本は記録であって、判定ではありません。十翼の各篇の書かれ方と読み方は、十翼を読むで扱います。

読んだあとの疑問

年代が古い出土資料のほうが、信頼できるのですか。

そうとは限りません。年代の古さ、完全さ、来歴の確かさは別々の問いです。上博簡が出た墓は紀元前300年ごろと推測されますが、簡は購入されたもので出土地は分かりません。違いは違いとして記録します。どれが原型に近いかは、これらの頁からは決まりません。

訳注本を読むとき、ノートには何を書けばよいですか。

書名、訳している底本、訳注者、出版情報、引用した頁か章です。底本が分からないと、訳がどの文字に従ったのかを後から確かめられません。

同じ卦の原文が、サイトによって字が違うのはなぜですか。

底本が違う場合、繁体字と簡体字の変換、頁自身が付けた異文の注などが原因になります。比べる前に、各頁が示す底本を確かめます。

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資料・出典

  1. 維基文庫・周易(各卦頁:周易/乾「保合大和」附注「一作太和」、周易/遯;六十四卦速查表)、易傳(十翼篇目與六十四卦列表)、周易正義(頁首署名,及頁首所錄《四庫全書總目》提要)、四庫全書總目提要/卷001(周易正義條)、周易注疏 (四庫全書本)、周易 (四部叢刊本)(署名、底本、分卷) ↗
  2. 中文維基百科・六十四卦(「馬王堆漢墓」卦序;「部分古版出土文獻對照」表;百科條目,二手)、易經(「近代考古研究」;百科條目,二手) ↗
  3. 中文維基百科・簡帛列表(馬王堆帛書、阜陽漢簡、上博簡各列)、馬王堆帛書周易、馬王堆帛書、上海博物館藏戰國楚竹書(百科條目,二手;上博簡數量依研究綜述,各處略有差異) ↗
  4. 山東大學易學與中國古代哲學研究中心・楊賢《帛書〈周易〉浅析》(帛書卦序第一組鍵、婦、掾、禮……;僅核對搜索摘要,未逐字讀頁面,二手旁證) ↗

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易経と周易:名称と範囲を分けてから原典へ ↗

経と伝:乾の一頁で、本文と解釈を見分ける ↗

十翼を読む:彖・象・繋辞は何を見るか ↗