艮卦:止まるのは体のどこか
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艮は六十四卦の第五十二卦で、上も下も艮、山が連なります。卦辞の「背で止まる」、彖伝の「止まる時には止まり、行く時には行く」、そして六つの爻辞が足の指からあごまで「止」を一か所ずつ問う様子から、艮の「止」を読みます。
要点を先に約6分で読めます
艮は「止まる」という意味です。ところが原文は、止まることを抽象的に語りません。足の指で止まる、ふくらはぎで止まる、腰で、胴で、あごで。一か所ずつ問います。
- 艮は艮を二つ重ねた卦で、各卦は陽爻一本の下に陰爻二本。説卦伝は「艮は止まる」、大象はこれを「山が連なる」と呼ぶ。
- 彖伝はまず「止まる時には止まり、行く時には行く」と言い、卦の形で結ぶ。「上と下が敵応」、初と四、二と五、三と上は、どの組も陰陽が同じで、応じ合わない。
- 爻辞は足の指からあごまで、五つの部分で止まる。最後の爻は部分を書かず「敦艮」だけで、小象は「厚く終わる」と評する。

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山が二つ連なる:陽爻が一番上
艮は第五十二卦で、上卦も下卦も艮、大象はこれを「山が連なる」と呼びます。三爻の形は、一番上に陽爻が一本、その下に陰爻が二本。説卦伝は艮に「止まる」の一字を与え、象は山、人でいえば少男にあてます。
艮と綜卦の震:艮を上下逆さにすると震になり、山(止まる)の鏡像は雷(動く)です。
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伝統的には、「止」をこう理解します。陽爻はこの三爻の卦のいちばん高いところに立っていて、その上にはもう位置がない。震の陽爻は一番下にあって、上にまだ二つ行き先がありますが、艮の陽爻の上には何もありません。
読む前に知る体の四つの語
- 足の指とふくらはぎ
- 趾は足の指、腓はふくらはぎ。初六と六二が、この二か所から始まる。
- 腰と背骨のわき
- 限は、伝統的には腰、上半身と下半身の境目と読み、夤は背骨のわきの肉と読むのが一般的。九三はこのあたりを言う。
- 胴とあご
- 身は胴体、輔は頬から口のわきあたり。六四と六五がそれぞれを言う。
- 厚い
- 敦は、ずっしりと厚いこと。最上の爻は「敦艮、吉」の三字だけ。
卦辞と彖伝:背で止まるから、人を見ない
艮の卦辞は短い句の連なりです。「背で止まる。その身を捉えない。庭を歩いても、その人を見ない。咎めなし」。背は人が自分では見えない側で、卦辞は続けて、庭を歩き回っても「人を見ない」と言います。字面では、背と「見えない」が呼び合っています。なぜ背を選んだのかは、原文はそれ以上述べていません。
艮は止まること。止まる時には止まり、行く時には行く。動くことも静かなことも時を失わず、その道は明るい。「止まるべきところに止まる」とは、居るべき所に止まること。上と下が敵として応じ、互いに結びつかない。だから「その身を捉えず、庭を歩いても人を見ない、咎めなし」となる。
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「艮は止まること」は卦名の定義です。続く「止まる時には止まり、行く時には行く」は、止まることを時機の中に置き直します。止まるのは動かないことではなく、止まる時に止まり、行く時に行くこと。だから「動も静も時を失わない」のです。
最後の句は、卦の形に当てはめて見ることができます。上下の卦で向かい合う位置は三組、初と四、二と五、三と上です。艮では、初六と六四はどちらも陰、六二と六五もどちらも陰、九三と上九はどちらも陽。三組とも同じ陰陽で、これを「敵応」と言い、互いに応じ合いません。
大象:山が連なる、君子の思いは位を出ない
山が連なる、これが艮。君子はこれにならい、思いがその位を出ないようにする。
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「兼」は連なること。兼山は、二つの山が続いていることです。君子の行いは「思いがその位を出ない」こと、つまり考えが自分の立つ位置を越えないようにすることです。
六つの爻辞と並べると、違いが見えてきます。爻辞が止めるのは体で、足の指からあごまで。大象が止めるのは思いです。この「位」は、彖伝の「居るべき所に止まる」ともつながります。所とは、いるべき位置のことです。
六つの爻辞:足の指からあごまで、そして「敦」
初めの五つの爻辞は、同じ型を使います。「……で止まる」。そのあとに来るのは、体を下から上へ五か所。最後の爻だけは部分を書きません。
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初六「足の指で止まる、咎めなし、永く正しさを守るのがよい」。歩き出そうとする足の指で止まるので、咎めはなく、小象は「正しさを失っていない」と言います。六二「ふくらはぎで止まるが、従うものを引き上げられず、心が晴れない」。腓はふくらはぎで、伝統的には、ふくらはぎは上の部分について動くもので、自分では引き留められない、と読みます。だから心が晴れないのです。六二の真上には、九三の陽爻があります。
次に九三。「腰で止まる、背骨のわきの肉が裂ける、危うさが心を灼く」。ここは通行本に従います。「裂ける」にあたる字は伝統的に「裂」と読み、「灼く」にあたる字は版本によって別の字に作りますが、通行本と小象は「薫」で、これを伝統的には燻して焼く意味に読みます。限は上半身と下半身の境目で、第三爻はちょうど下卦のいちばん上、上卦に接する位置です。そこで止めると、背骨のわきの肉が裂け、危うく、心が灼かれる。六つの爻辞の中で「危うい」と書かれるのは、この爻だけです。
六四「胴で止まる、咎めなし」。小象は「身の中で止まる」。六五「あごで止まる、言葉に序があり、悔いが消える」。輔は頬から口のわきで、ここで止めるのは言葉を抑えること。言葉は筋道が整い(版本によっては「信頼できる」)、悔いも消えます。
最後の爻は部分を書かず、「厚く止まる、吉」。小象は「厚く終わる」。六つの爻辞の判断を下から並べると、咎めなし、心が晴れない、危うい、咎めなし、悔い消える、吉。九三がいちばん低く、そこから上へ上がっていきます。
震・兌・解:艮の隣の卦と、震のあとにある理由
艮の綜卦は震です(冒頭の図)。艮は止まる、震は動く。序卦伝が震のあとに艮を置く理由はごく短く、物はずっと動き続けられないので止める、「艮は止まること」というものです。艮の次の漸については、止まることも果てまでは続けられない、と述べています。
錯卦は兌で、説卦伝では兌は「悦ぶ」。互卦は解です。艮の第二・第三・第四爻を取ると陰・陽・陰で、下卦の坎。第三・第四・第五爻は陽・陰・陰で、上卦の震になります。
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読んだあとの疑問
卦辞はなぜ「背」を選ぶのですか。
原文は理由を述べていません。字面では、背は自分には見えない側で、続く「人を見ない」と呼応しています。それ以上の理由は原文になく、こちらから足すべきでもありません。
艮は何もするなという意味ですか。
彖伝の答えは「止まる時には止まり、行く時には行く」。動くことも静かなことも時を失わない、というものです。止まるのは時を見ることで、ずっと動かないことではありません。
「腰で止まる、背骨のわきの肉が裂ける」とはどういう意味ですか。
最初の語は、伝統的には腰、つまり上半身と下半身の境目と読み、次の語は背骨のわきの肉と読むのが一般的です。六つの爻辞で「危うい」が出るのはこの爻だけですが、詳しい状況は書かれていません。
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