未済卦:渡りきらない最後の卦
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未済は六十四卦の最後の卦で、上が離、下が坎、どの爻も位を外れながら、二本ずつ応じ合っています。小さな狐、大象の「慎んで見分け方位に置く」、初めと終わりの小象に並ぶ「これもまた知らない」、序卦伝の結びを読みます。
要点を先に約8分で読めます
未済は六十四卦の最後に置かれています。卦名は「まだ渡り終えていない」、卦辞は対岸の近くまで来た小さな狐を描き、序卦伝は二字で結びます。終焉、ここで終わる、と。
- 未済は離(火)が上、坎(水)が下で、どの爻も自分の位にいない。彖伝は「位はふさわしくないが、剛柔が応じ合う」と言い、初と四、二と五、三と上の各組は、陰と陽が一本ずつ。
- 大象は「慎んで物を見分け、それぞれを方位に置く」。説卦伝は離に南、坎に真北を当てるので、二つの三爻の卦は反対の端に立つ。
- 初めと終わりの小象は、どちらも「これもまた知らない」と言う。初六は「限り」、上九は「節度」。序卦伝は未済を最後に置き、「ここで終わる」の二字で結ぶ。

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火が水の上:どの爻も自分の位にいない
未済は六十四卦の最後の卦です。上卦は離(火)、下卦は坎(水)で、既済の上下の卦を入れ替えたものにあたります。説卦伝では離は「麗く」、坎は「陥る」。下から数えると、陰・陽・陰・陽・陰・陽。陰の爻が陽の位である一・三・五に、陽の爻が陰の位である二・四・上に座り、どの爻も自分の位にいません。他のどの卦にも見られない並びです。既済の錯卦であり、綜卦であり、互卦でもあり、三つの関係の導き方は既済の記事にあります。
未済の六本の爻:陰は一・三・五の位、陽は二・四・上の位にあり、どれも自分の位にいません。既済の錯卦であり、綜卦であり、互卦でもあります。
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先に見ておく三つの言葉
- 未済
- 字面は「まだ渡り終えていない」。前の卦と対になっていて、既はすでに、未はまだ。
- 汔
- 卦辞「小狐汔済」の字。伝統的には「ほとんど、もう少しで」と読み、小さな狐が対岸の近くまで来ている。
- 応
- 初と四、二と五、三と上は、互いに対応する三組の位置。一組に陰と陽が一本ずつあるとき、「剛柔が応じる」という。位置の数え方は爻位の記事で説明している。
卦辞と彖伝:尾を濡らす小さな狐
未済の卦辞は、一枚の絵のようです。
通る。小さな狐がもう少しで渡りきるところで、尾を濡らす。利するところはない。
最初の字は「通る」で、既済のように「小さなもの」に限られてはいません。そのあとに描かれるのは、対岸の近くまで来て尾を濡らした小さな狐で、得るものはありません。彖伝は一句ずつ説明します。
未済が通るのは、柔が中の位にいるからだ。小さな狐がもう少しで渡りきるとは、まだ中から出ていないということ。尾を濡らして利するところがないとは、最後まで続かないということ。位はふさわしくないが、剛と柔が応じ合っている。
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「通る」に当たるのは六五です。陰の爻が上卦の中にいる、これが「柔が中を得る」です。「小さな狐がもう少しで渡りきる」は、彖伝によれば「まだ中から出ていない」で、伝統的には水のなかからまだ出ていないと読まれます。「尾を濡らす」は「最後まで続かない」、つまり最後までは進みきれないということです。
最後の一句が、この段の転換点です。「位はふさわしくないが、剛と柔が応じ合っている。」六本の爻はみな誤った位置に立っていますが、初六は九四に、九二は六五に、六三は上九に応じ、三組それぞれに陰と陽が一本ずつあります。彖伝は、「通る」にもう一言足しているように読めます。位置は違っているが、互いに対応している、と。
大象:慎んで見分け、方位に置く
火が水の上にあるのが未済である。君子はこの象から、慎んで物を見分け、それぞれをふさわしい場所に据える。
大象には三つの言葉があります。慎むは気をつけること。見分けるは、何が何であるかを区別すること。方に居るは、伝統的には、それぞれのものを居るべき所に置くことと読まれます。「方」の字は、説卦伝では方位の方で、離は南の卦、坎は真北の卦です。未済の二つの三爻の卦は、一つが南、もう一つが北にあって、ちょうど反対の端に立ちます。
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この卦の六本の爻はすべて位を外れていて、大象の示す行いは、まさに「見分ける」と「据える」です。先に分けて、それぞれの場所に置く。こう読むこともできます。図の中では位置がすべて違っているので、大象は「位置」の問題を君子に預けているのだと。
六つの爻辞:初めと終わりの小象はどちらも「これもまた知らない」
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初六の「尾を濡らす、恥をかく」は、卦辞の「尾を濡らす」を繰り返していますが、今度の結びは「恥をかく」で、「利するところはない」ではありません。小象は「これもまた限りを知らない」と言います。
九二の「車輪を引く、守り通して吉」。同じように車輪を引き止めて、ここでは結びが吉です。小象は「中にいて正しく行う」。ここでの「中」は、九二の陽爻が下卦の中央にあることを指します。
六三は、卦名が爻辞のなかに入っている、この卦で唯一の爻です。「まだ渡りきらない。進めば凶。大きな川を渡るのによい。」引き合う二つの句が一つの爻に並んでいて、後世の読みも分かれるため、ここでは書かれたとおりに訳します。小象は「位がふさわしくない」とだけ評します。
九四の「守り通して吉、悔いは消える。奮い立って鬼方を討ち、三年で大国から賞を受ける」(「国」は「邦」とする本もあります)。「奮い立つ」の字は、字面では奮う、揺れ動くこと。三年にわたる遠征が、ここでは賞に結びつき、小象は「志が行われる」と言います。
六五の「君子の光、まことがあり、吉」に、小象は「その輝きは吉」と添えます。「光」も「輝き」も光を表す語で、六五は上卦の離の真ん中の爻にあたり、説卦伝は離に「明るい」という字を与えています。
上九の「まことをもって酒を飲み、咎めはない。頭を濡らせば、まことがあっても正しさを失う」。同じ「まこと」でも、酒を飲むうちは咎めがなく、「頭を濡らす」ところまで行くと「正しさを失う」ことになります。この最後の句は、字面では「是」を失うことで、伝統的には正しいやり方を失うと読まれます。小象は「これもまた節度を知らない」と言います。
小象を並べて見ます。初六は「尾を濡らすのは、これもまた限りを知らない」、上九は「酒を飲んで頭を濡らすのは、これもまた節度を知らない」。六つの小象のうち、「これもまた知らない」が出てくるのはこの二つだけで、一方は初め、一方は終わり、一つは「限り」、一つは「節度」。卦全体が、その二つの間に収まっています。
序卦伝の「終焉」:物は尽きてはならない
序卦伝の、最後の一文です。
物は尽きてはならない。だから未済が続く。ここで終わる。
序卦伝には、「物は最後まで……してはならない」という型の文が何度も出てきます。通じきる、塞がりきる、動ききる、止まりきる、離れきる。どれも、ある状態がいつまでも続くことはなく、だから次の卦が続く、という話です。最後の最後で、この型が変わります。「物は尽きてはならない」。尽きるとは、果てまで行くことです。
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「尽きる」という語は、これが初めてではありません。既済の彖伝は「その道が行き詰まる」と言い、雑卦伝は未済に「男の行き詰まり」と評を与えています。序卦伝は、物は尽きてはならない、だから最後に置かれるのは「未済」だ、と言います。結びの二字は、伝統的にはこう理解されます。順序はここで終わる。そしてそれが、「渡り終えた」卦ではなく、「まだ渡っていない」卦で終わるのです。
順序が閉じる前に、原文は直前の卦が使った言葉をもう一度言っていて、結びだけが違います。
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読んだあとの疑問
未済は「失敗」の卦ですか。
卦辞の最初の字は「通る」で、彖伝は「柔が中を得る」「剛柔が応じ合う」と添えます。六五は「君子の光」、九四は「悔いが消える」。原文には「利するところがない」も「吉」も出てきて、事が途中にあるときの、さまざまな姿を書いています。
「小狐汔済」の「汔」はどういう意味ですか。
伝統的には「ほとんど、もう少しで」と読み、小さな狐は対岸の近くまで来ています。彖伝はそのあと「まだ中から出ていない」と言い、水のなかにいる、つまり尾が濡れた段階と対応します。
六三の「進めば凶」と「大きな川を渡るのによい」は矛盾していませんか。
文面では二つの句が一つの爻に並んでいて、後世の読みも分かれます。確かに言えるのは原文だけで、小象はこの爻に「位がふさわしくない」と一言評するだけです。
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